池田真一郎です
白浜は3回花火大会があるのはご存じですか??
7月30日と8月10日、そして年末のカウントダウン
白浜=海
白浜=温泉
白浜=パンダ
白浜=花火
そんなイメージがあると思います♪♪♪
ところで!!!!!
花火大会はなぜ夏?由来や起源て知ってますか?
暑い!花火もっと涼しい時にやってくれればいいのに!
って思いますよね??
花火大会はなぜ夏に開催されるの?
夏の風物詩・花火は、そもそもは送り盆の時期に、魂の鎮魂のために打ち上げられたものだといわれています。
少し歴史をさかのぼって、花火の起源を調べてみますと、
花火のルーツは、一般的には中国で硝石(火薬製造の基本となる硝酸塩の混合物)が発見され、それを利用した狼煙(のろし)が作られたことだとされています。
のろしとして通信手段として使われた火薬は、武器に使用され、花火の原型の一つである爆竹のようなものが12世紀ごろに作られました。
観賞用の花火としては、14世紀後半のイタリア・フィレンツェで、キリスト教の祝祭などに使用されたのが始まりで、ヨーロッパ中に広まっていきました。そして大航海時代には、火薬や花火は世界各地へと広がりを見せました。
ちなみに
日本で花火を初めて見たのは誰だと思いますか??
織田信長?
違います。
織田・・・
信成!!
違います!!笑
本当は、伊達政宗と、徳川家康です。
伊達正宗は、1589年に米沢城で中国人の献上した花火を見たとされていますし、
1613年に駿府城で、徳川家康のところへ訪れたイギリス人が、中国製の筒から噴出する形の花火(手筒花火の原型?)を献上したのが日本で初めてという説もあります。
家康が花火を見たのをきっかけに、将軍家をはじめ諸大名の間で花火が流行しました。
その後、江戸の町民にまで広がっていきました。
花火の流行と発展に伴い、花火を打ち上げることを生業とする、花火師が登場するようになりました。
有名なのは『鍵屋』
そう、花火をあげた時に「たまやー」「かぎやー」かけ声を掛けますよね。
これは花火師の名前なんですね。
鍵屋は江戸幕府御用達の花火商として成長し続けていき、8代目のとき、清七という優秀な番頭があらわれ、のれん分けを許されて玉屋となりました。
その後、両国の川開き(今の隅田川花火大会の前身:両国花火)では鍵屋と玉屋が競演して、大きく盛り上がりました。
しかし、玉屋は不慮の失火によりを追い払われ、わずか30年で廃業。鍵屋は戦前まで続いていきました。
江戸以外にも日本各地に花火は広がり、そして、先祖供養の意味合いやお祭り等で打ち上げられるようになり、現在に至ります。
1733年に時の将軍吉宗は、その前年に起きた大飢饉と悪病(コレラ)払い、悪霊退散祈願のために、施餓鬼を催して水神際を行い、花火を打ち上げました。
施餓鬼とは、餓鬼(がき)とは、俗にいう生前の悪行によって亡者の世界に落とされた魂や無縁仏となっているような霊や魂に食べ物や飲み物などの供物を施すこと供養を行う仏教の法要行事です。
今では、花火は見て楽しむイベントとして定着していますが、中国から来た火薬が日本でお盆や供養に使われ、広がっていったんですね。
花火大会がお盆と関係していたので8月開催が多いんですね。
日本の伝統行事として捉え直して、一発の花火にも魂への祈りが込められていると思うと、
花火を見る自分の気持ちも、綺麗なものに対する感動に加え、少し厳かな感じになりそうです。